ろうかと存じまして……」
と、俊亮は、まるっこい膝を、手のひらでこすりこすり言った。
「なるほど、それでわざわざお出でくだすったとおっしゃるのか。じゃが、正木さんから伺ったところと、ちょっともちがってはいませんな。」
大巻運平老は、とぼけたようにそう答えて、顎鬚《あごひげ》をぐいとひっばった。その大きな眼玉は、天井を見ている。あまり愉快そうな表情ではない。――運平老は、お芳の父で、次郎が天狗の面に似ていると思っている人なのである。剣道に自信があり、裏の土蔵を道場代りにして、村の青年たちに、おりおり稽古をつけてやっている。鉄庵と号して画も描く。四君子のほかに、鹿の密画が得意である。
俊亮は、運平老の気持をはかりかねて、用心ぶかくその顔色をうかがった。すると運平老は、急に脊骨《せぼね》を真直にし、天井に注いでいた視線を、射るように俊亮の顔に転じて、かみつくように言った。
「あんたは、つまるところ、今度の話を取消しにおいでになったわけじゃな。」
「いや、決してそんなわけでは……」
「なるほど、あんたの口から取消そうとはおっしゃらん。じゃが、その代りに、わしに取消させようというのが、あん
前へ
次へ
全305ページ中60ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング