そのくせ、首を強く縦《たて》に動かした。そして、お延がまだ疑わしそうな眼をして、自分の顔をのぞいているのを見ると、
「ほんとうさ。」
 と、おこったように言って、ぷいと座を立った。
「じゃあ、お祝いに、叔母さんがこれから御馳走をこさえるわ。」
 お延は、追っかけるようにそう言って、お針の道具をしまいはじめた。
 次郎は、ふり向きもしないで土間におり、門口を出たが、足はひとりでに墓地に向かっていた。
 墓地をかこむ女竹《めだけ》林は、暮近い風に吹かれて、さむざむと鳴っていた。次郎は、母の墓がきょうは妙に寄りつきにくいような気がして、しばらくは、五六間もはなれたところから、じっとそれを見つめていた。
 そのうち、彼はふと、去年の夏休みに、恭一と俊三とが久方ぶりに母の見舞に来ていたのを、本田のお祖母さんが、いろいろと口実《こうじつ》を設けてつれ帰った時のことを思い起こした。
 彼は、恭一たちが帰ったあと、母の眼尻から、彼の全く予期しなかったものが真珠のようにこぼれ落ちたのを、今でもはっきり覚えている。ことに、うるんだ眼で微笑しながら、「次郎だけはいつもあたしのそばにいてもらえるわね」と言った
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