、次郎ちゃんのために来てくださろうとおっしゃっているのに、お気の毒じゃないの? お祖父さんや、お祖母さんだって、もしかそんなことにでもなったら、どんなにおこまりでしょう。」
 次郎は、もう、世間というものがまるでわからない子供ではなかった。むしろ、そうしたことでは、兄弟や従兄弟たちの誰よりも、ませているともいえるのだった。それに、彼の持ちまえの侠気《きょうき》というか、功名心というか、そうしたものが、彼自身でも気づかない間に、そろそろと頭をもたげていた。
「僕、じゃあ、母さんって言うよ。」
 彼はいかにも無雑作《むぞうさ》に答えた。しかし、答えてしまって妙な味気《あじけ》なさを覚えた。それはちょうど精いっぱい力を入れて角力をとっている最中、何かのはずみで、がくりと膝をついたような気持だった。
 お延には、次郎の返事があまりにだしぬけだった。彼女は、もっと何か言うつもりでいたらしかったが、一瞬、あっけにとられたように眼を見はった。それから膝をのり出し、次郎の顔を下からのぞくようにして、
「そう? ほんとう?」
 と、念を押した。
 次郎は念を押されると、何だかあともどりしたくなって来た。
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