次郎は、しぶしぶ膝をにじらせて敷居の内側にはいった。そしてもう一度お辞儀をしたが、それをすますと、急いで立って行こうとした。
「ここにいてもいいんだよ。お客様ではないのだから。……もっと火鉢のそばにおより。」
 お祖母さんは、そう言って立ち上り、自分で次郎のうしろの襖をしめた。次郎は監禁《かんきん》でもされたかのように、窮屈《きゅうくつ》そうに坐っていた。
「どうしたのだえ、次郎。お客様ではないと言ってるのに。……この方はね……」
 と、お祖母さんは、もとの座にかえりながら、
「この方は、これからうちの人になっていただくんだから、そんなに窮屈にしないでもいいのだよ。そばによってお菓子でもおねだり。」
 すると女の人がはじめて口をきいた。
「次郎ちゃん、こちらにいらっしゃい。お菓子あげますわ。」
 何だか張りのない声だった。彼女は、そう言いながら、お菓子鉢から丸芳露《まるぼうろ》を一つ箸にはさんで次郎の方に差し出した。
 次郎は、しかし、手を出さなかった。
「おきらい?」
 次郎は、伏せていた眼をあげて、ちらと相手の顔を見た。相手は笑っていた。右頬の笑くぼがこないだ見た時よりも、一層大
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