を通る女を眺めていたなんて、そりゃ自分の口から言えんのがあたりまえだ。」
 衣嚢の中で小刀を握りしめていた次郎の手は、もうすっかり汗ばんでいた。
「本田、――」
 と、三つボタンはいかにも訓戒するような調子になって、
「貴様の行いは全校の恥だぞ。しかも、貴様はまだ一年生じゃないか。一年生の時から、女に興味を持つなんて、生意気千万だ。将来の校風が思いやられる。」
 次郎は、相手が真面目くさった顔をして、そんなことを言うのを聞いているうちに、妙にくすぐったい気持になって来た。同時に、彼の態度にはかなりの余裕が出来た。彼の機智《きち》が動き出すのは、いつもそんな時である。
 彼はすまして言った。
「僕、女なんか見ていません。」
「馬鹿! 現に見てたじゃあないか。」
「見てたっていう証拠がありますか。」
「何! 証拠だと? ずうずうしい奴だな。証拠は俺の眼だ。」
「じゃあ、どんな女を見てたんです。」
「こいつ!」
 と、三つボタンは真赤になって次郎を睨んだ。が、すぐ、どうせ相手は鼠でこちらは猫だ、というような顔をして、
「貴様はなるほど偉い。俺も一年生に詰問《きつもん》されたのは、はじめてだ。
前へ 次へ
全305ページ中251ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング