れてはいなかった。彼は、恭一の方にちょっと笑顔を見せたあと、いきなり俊三の脇腹をくすぐった。俊三はとん狂な声を立てて飛びのいた。同時に恭一と次郎が、きゃあきゃあ笑い出した。
「何を次郎はぐずぐずしているのだえ。感心に仏様にご挨拶《あいさつ》をしているかと思うと、そんなところで、ふざけたりしていてさ。行くなら、さっさとおいで。」
お祖母さんの声が、するどく茶の間からきこえた。俊三は、口を両手にあてて渋面をつくった。恭一は心配そうに次郎の顔を見た。次郎は、しかし、ほとんど無表情な顔をして、茶の間に出て行き、お祖母さんのまえに坐って、
「さようなら、お祖母さん。」
と、ていねいにお辞儀をした。そして、脇腹に次第にあたたまって行く万年筆の感触を味わいながら、元気よくカバンを肩にかけた。
本田の家を出てからの次郎の気持は、決して不幸ではなかった。俊亮は、自転車に壜詰を結《ゆわ》えつけて、それを押しながら家を出たが、町はずれまで来ると、次郎をいっしょにのせてペタルをふんだ。風は寒かったし、からだも窮屈だったが、次郎は、父のマントをとおして、ふっくらした肉のぬくもりを感ずることが出来た。
彼
前へ
次へ
全305ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング