は、恭一に万年筆をもらったことを、すぐにも父に話したかったが、なぜかいつまでも言い出せなかった。大方一里あまり走ったころ彼はやっと言った。
「あのねえ、父さん、……恭ちゃんが、そっと僕に万年筆をくれたよ。」
「ふうむ――」
 俊亮はえたいの知れない返事をしたきりだった。次郎もそれっきり默っていた。そして自転車の合乗りでは、どちらも相手の顔をまともにのぞいて見るわけには行かなかったのである。
 それから一丁あまり走ったころ、俊亮が思い出したようにたずねた。
「いつ、くれたんだい。」
「僕、母さんのお位牌を拝んで出て来ると、梯子段のところで、くれたよ。」
「ふうむ――」
 俊亮は、またえたいの知れない返事をしたが、今度は半丁も走らないうちに、ちょっと自転車の速力をゆるめながら、
「じゃあ、恭一には、父さんがもっと上等なのを買ってやろうね。」
「うむ。」
 次郎は造作《ぞうさ》なく答えた。答えてしまっていい気持だった。
 彼はもっと上等の万年筆を、しかも、父自身に買ってもらう恭一の幸福を、少しも妬《ねた》ましいとは感じなかった。彼は、むしろ、恭一に万年筆をもらった喜びの奥に、何かしら気にかか
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