が「自然」に打克《うちか》つように見えるのは、その「願望」が「自然」に即し「自然」の流れに棹《さお》ざしている時だけなのである。お芳から次郎を遠ざけ、その代りに、恭一と俊三をいつもお芳の身辺《しんぺん》に近づけておくことが、「次郎のため」の願望を自然の流れに棹ざさせる道であったとは、決していえなかったのであろう。
「自然」の最も深いところに根を張っているはずの肉親の愛ですら、何かの不自然を敢えてすることによって、或はゆらめき、或は枯れる。意義と理性とによって、その不自然を出来るだけ自然に近づけて行くことを知らない女性において、とりわけその危険が多いのだ。それは、お民と本田のお祖母さんとにおいて、すでに十分証明されたことではなかったか。まして、お芳は、もともと不自然な、しかも、ゆさぶってみるにはまだあまりに早すぎる接穂《つぎほ》でしかなかったのである。次郎に、かつての里子の経験が、再び新しい形ではじまろうとしていたとしても、それは「あるまじきことだ」とばかりは、必ずしも言えなかったのではあるまいか。
 事実を語ろう。
 次郎は、入学試験後、正木に来てから約一ヵ月ぶりで、土曜から日曜にかけ
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