がきこえて来た。しかし何を言っているのかは、まるでわからなかった。
眼が、闇に慣れるにつれて、襖の隙間《すきま》から洩れる光線が、仕切棚の裏にぼんやり扇形の模様を投げているのが見えだした。彼は一心にそれを見詰めて、その中に日の丸や、青い波や、瓢箪《ひょうたん》や、竜や、そのほか彼がこれまでに扇面で見たことのあるいろいろの画を想像してみた。
そのうちに、お浜や直吉の顔も浮かんで来た。同時に、彼がかつて直吉の肩車に乗って、その耳朶に爪を突き立てた折のことが、はっきり思い出された。
(直吉はいつも自分を迎えに来るからきらいだ。それさえなけれは嫌いではないんだが。……今日はもう帰ったか知らん。――でも、乳母やまでが一緒に帰ってしまったんではつまらない。)
そんなことを考えているうちに、夜具がいつの間にかぽかぽかと温まって来た。次郎は、その中で体がふんわりと宙に浮き上るような気持になった。そして、間もなく彼はぐっすりと眠ってしまったのである。
幾時間かの後、彼が眼をさました時には、扇形の光線など、もうどこにも見えなかった。彼は真っ暗な中で、自分が何処に寝ているかさえ、全く見当がつかなかっ
前へ
次へ
全332ページ中96ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング