や、茶の間や、台所にまで拡がっていった。しかし、幸いなことに、便所の中まで探して見ようとする者は、誰もいなかった。
証拠があがらない限りは次郎の勝利である。嫌疑《けんぎ》がいかほど濃厚であろうと、それはかれの知ったことではない。
時間は刻一刻と経った。彼はますます落ちついた。
そして恭一は、本がなくては嫌だと言って、とうとうその日学校を休んでしまったのである。
騒ぎがひととおり片づいてからも、重くるしい空気が永いこと家の中に漂った。
お民は次郎の顔さえ見ると、ぐっと睨めつけた。そして、幾度となく離室に行ったり、台所に行ったりして、お祖母さんやお糸婆さんと、ひそひそ立ち話をした。恭一は、泣っ面をしながら、たえずその尻を追いまわしていた。
次郎は、なるだけお民に近寄らない工夫をした。しかし、それとなくみんなの動静を窺うことを怠らなかった。とりわけ便所に出入りする人たちの顔つきに気をつけた。そしておりおりいやに狎々しい声で、恭一に話しかけたりした。
夕食のあと、お民はもう一度念を押すように言った。
「次郎、ほんとうにお前知らないのかい。」
「僕知らないよ。」
それから間もなく
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