。そして非常に愉快でもあった。
 しかし、その愉快さは長くはつづかなかった。それは、俊亮がだしぬけに、彼の両手を次郎の腹からはずしてしまったからである。
 次郎は、はっと思った瞬間に、顔を空に向けたが、もう間にあわなかった。彼はがぶりと水を飲んだ。鼻の奥から頭のしんにかけて、酸っぱいものがしみ込むような痛みを感じた。それからあと、彼は全く死物狂いだった。
 しかし、その死物狂いは、ほんの一秒か二秒ですんだ。そこは彼の腰の辺までしかない深さのところで、彼はすぐひとりで立ち上ることが出来たからである。
「わっはっはっ、苦しかったか。」
 俊亮が、すぐうしろで大きく笑った。次郎は声をあげて泣きたかったが、父の笑い声をきくと泣けなくなった。で、げえげえ水を吐き出したり、鼻汁をこすったりして、しばらくごまかしていた。
「沈むと思った時に、口をあいて顔を上げたりしちゃいかん。思い切って、息を止めてもぐるんだ。いいか次郎。ほら、父さんがやってみせる。」
 俊亮は顔を水に突っこんで、そのでぶでぶした真っ白な体を、蛙のように浮かして見せた。
「どうだい。」
 と、彼は顔をあげて、それを両手でつるりと撫で
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