次郎を見たが、そのまま默ってしまった。俊亮は縁台をおりながら、
「それよりも、寝る前にもう一度行水をしたいんだが、湯があるかね。」
「風呂にまだ沢山残っていますわ。」
「そうか。――おい、次郎、お前も一緒に来い。父さんが綺麗に洗ってやる。」
次郎は、聞いていて、何が何やらさっぱり解らなかった。ただ母が、自分のために父に対して抗議を申しこんだことだけが、たしかだった。かといって、彼はそのために父よりも母を好きになるというわけにはいかなかった。最初父に「汚ない」とどなられた時には、落胆もし、不平にも思ったが、二人の言いあいを聞いているうちに、やっぱり父の方に何か知ら温かいものがあるように感じた。で、父に「一緒に来い」と言われると、彼は何もかも打ち忘れて、はね起きる気になった。
彼の心は、しかし、はね起きると同時にぴんと引きしまった。というのは、その時お民が縁側を上って行って、お膳をしまいかけたからである。
次郎は卵焼のことが心配だった。もし母に気づかれたら、と思うと、彼は身動きすら出来なくなった。彼は、突っ立ってじっとお民の様子に注意した。
「おやっ。」
お民は小声でそう叫ぶと、け
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