ゃるの。」
「そうむきになるなよ。あれに聞えても悪い。それよりか、もう一度呼んでみたらどうだね。」
「貴方の、公平なお声で呼んでみて下すったら、どう?」
「…………」
次郎は全身の神経を耳に集中して、二人の話を聞こうとしたが、その大部分は聞きとれなかった。聞えてもその意味をはっきり掴むことは出来なかっただろう。しかし、彼は何かしら、父が自分に対して好意を寄せているような気がしてならなかった。彼は父が今にも声をかけてくれるかと、ひそかに待っていたが、駄目だった。
で、彼はそっと向きをかえて座敷の方を窺《うかが》った。――もうその時には、日はとっぷりと暮れて、向こうから見られる心配がなかったのである。
父は默りこくって酒を飲んでいる。
母はそっぽを向いて、やけに団扇だけをばたばたさせている。
「恭一、お前次郎をつれて来い。」
だしぬけに父の声が、大きく聞えた。
恭一は、気味わるそうに、しばらく植込をすかしていたが、しぶしぶ立ち上って、次郎の方にやって来た。
「父さんが呼んでるよ。」
恭一は次郎に近づくと、用心深くその手首をつかんで引っぱった。次郎は、恭一に手を握られるのを、あ
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