と彼は、父に隠れる気など少しもなかったのだが、つい妙な機《はず》みで、こんなことになってしまった。それに、困ったことには、誰も自分が見えないのを気にかけている様子がない。かといって、今更植込の中から、のこのこ出て行くのも変だ。彼は自分が庭にいるのを、何とかして皆に気づかせたいと思った。で、父がいよいよ晩酌《ばんしゃく》をはじめた頃に、わざと足音を立てて庭をうろつき出していたのである。
 彼は母に声をかけられたときには、しめたと思った。それなら、その声に応じてすぐ出て行くのかと思うと、そうでもなかった。母の言葉は彼が素直に出て行くには、少し強すぎたのである。
 彼は母の声をきくと、すぐ、くるりと座敷の方に背を向けて立木によりかかってしまった。
「次郎ちゃん、父ちゃんが帰ったようっ。」
 恭一が彼を呼んだ。
「父ちゃんが帰ったようっ。」
 俊三がそれをまねた。
 次郎は皆の視線を自分の背中に感じていよいよ動けなくなってしまった。
「すぐあれなんですもの。……全くどうしたらいいのか、私、わからなくなっちまいますわ。」
「なあに、今日は、はじめてなもんだから、きまり悪がってるんだよ。」
「そん
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