ともしなかった。
「ご飯たべない、ばかあ――」
 俊三の声である。次郎はそれでも默っていた。すると俊三は、ちょこちょこと寄って来て、うしろから片手を次郎の肩にかけ、その耳元で、
「馬鹿やあい。」
 と言った。次郎はいきなり右|臂《ひじ》で俊三を突きのけた。俊三はよろよろと縁をよろけて、敷居に躓《つまず》き、座敷の畳の上に仰向けに倒れた。
 彼の泣き声は、家じゅうに響き渡った。
 お民が出て来て、恭一に言った。
「どうしたんだえ。」
「次郎ちゃんが突き倒したんだい。」
「次郎が? どうして?」
「僕知らないよ。」
 恭一は神経質らしく、お民と次郎とを見比べながら答えた。
 お民は、しばらく次郎をうしろからじっと睨めつけていたが、何と思ったのか、そのまま俊三を抱き起こして、茶の間の方に行ってしまった。
 恭一もすぐそのあとについた。
 次郎は、また一人でぽつねんと庭を眺めた。
 そのうちに、彼はゆうべの寝不足のため、うつらうつらし出した。そうしてとうとう縁側から地べたにすべり落ちてしまった。
 幸いに大した痛みを覚えなかった。彼は起き上ってあたりを見まわしたが、誰もいなかったので、安心した
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