ど見つめながらたずねた人がある。私には、それが驚歎の言葉のように聞えたし、また非難の言葉のようにも聞えた。
若いころ、ちょっぴり詩や歌をひねり、その後二十年間も地方をまわって学校教育に没頭し、五十近くになってから東京にまい戻って、尓来《じらい》十年間、社会教育方面の仕事のために、南船北馬している私である。その私が、今更小説に野心を持ち出したとしたら、なるほど驚歎にも値するだろうし、また無論非難されるのが当然であろう。ところで、実をいうと、私自身としては、小説を書く気でこの本を書いたのではないのである。万一にも、この物語の形式が、小説というものの規準に合しているとすれば、なるほど私は小説を書いたことになるだろう。しかし、私にとっては、それが小説になっているか否かは全く問題ではない。私は、ただ、私の書きたいことをそれにふさわしい形式で表現してみたいと思っただけなのである。それに、元来私は、何かの規準を設けて、小説と小説でないものとを区別しようとする考えを、全く無用だとさえ思っている。だから、私が小説に野心があるとか、ないとか、或いは、私の書いたものが小説になっているとか、いないとかいう理
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