ならないような気がしていたのである。
 なぜか、とむきになってたずねられると、答えに困る。困るというのは答えられないからではない。答えたくないからである。答はこの物語の中に書いてあることだけでもう十分だし、それ以上に何か言えば、それは理窟になって、私の気持からは、かなり遠いものになってしまうからである。
 ただ次のことだけは言っておいてもいいように思う。それは、もし私が、子供をもった親たちを集めて、何か話をしなければならない場合があるとしたら、私は話をする代りに、默ってこの物語を差し出したい気になるだろう、ということである。
 ところで、この物語が、まだ原稿のままだった頃、幾人かの知人にそれを読んでもらったら、その一人は、読んで行くうちに、「これは愉快だ。」と言って、しばしば哄笑《こうしょう》した。私は淋しかった。他の一人は「これは君の自叙伝なのか。」と、根掘り葉掘り、詮議《せんぎ》しはじめた。私は苦笑するよりほかなかった。更に他の一人は、「次郎は変質者だね。」と言った。これには私はかなり考えさせられた。そして、もしも次郎が、その人の言うとおり、変質者として描かれているならば、彼を広く
前へ 次へ
全332ページ中329ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング