うしろについて歩いていた。
 次郎は返事をしなかった。やや湿《しめ》りを帯びた彼の草履《ぞうり》が、闇の中でぴたぴたと異様な音を立てた。
「怖けりゃ、先においで。」
 次郎は、ちっとも怖くはなかった。しかし、言われるままに、小走りしてお民のさきに立った。自分の体が、お民の提《さ》げている提灯のあかりを路一ぱいに遮ぎって、前が真っ暗になる。左右の稲田が、ぼうっと明るく、両方の眼尻にうつる。眼尻にうつるというよりは、じかに脳髄《のうずい》に映ると言った方が適当である。
「先に行くなら、提灯をお持ち。」
 次郎は提灯を持った。提灯は弓張りだった。あたりまえに提げると、その底が地べたをこするので、彼は手首を胸の辺まで上げていなければならなかった。
 彼の草履の音がぴたぴたと鳴る。それが、ともすると、お民には妙な方向から響いてくるように思える。
「次郎、お前やっぱり後からお出で、足が速すぎていけないよ。」
 次郎は提灯をまたお民に渡して、うしろから草履の音をぴたぴたと立てる。
「向こうから誰か来るようだね。」
 お民はだしぬけにそう言って立ちどまった。次郎も一緒に立ちどまったが、しんとして人の来
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