フであつて、奈良の連中と、屡々來往したやうに見受くるは、舊友も多かつた上に、眞言の學問は、三論法相の學問を基礎として居るからと私は認める、現に御遺告二十五箇條の第十二に此の事が出てある。
又善く世人に問はるゝ事であるが、大師は、梵語を知つて居られたか否やと云ふ問題であるが、梵字梵語を講習せずして、眞言密教は、完全に領解出來るものでなく、又不空三藏の上足の弟子たる惠果が、梵字梵語を知らなかつた大師を傳燈阿闍梨の位に上すとは思へぬが、世人の中には、往々、かゝる疑問をなすものあるから、私は、茲に説明したいと思ふ、大師は、立派に梵語はやられたので、御請來目録の序中に、梵字梵讃間以學之、と記せられて居る間[#「間」に白丸傍点]とは、大師謙讓せられた言で、當時梵學の研究が、中々盛大であり、斯學の才俊が多く居つた唐の長安に入りて、大師たるものは、如何にして、此の必要學科を等閑視することがあり得べきか、畢竟、講習日淺く、長安の才俊に比すれば、大師自身が、劣ると思はれたから、間[#「間」に白丸傍点]の字を入れられたまでゝ、講習日淺かつたにしろ、今日の學生の樣に、五年六年とかゝつて、だらしなくやつたのでな
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