ノ對し、期待した所は、實に此の點にあるのである、現に臨終の遺言にも、義明供奉、此處而傳、汝其行矣、傳之東國と云はれて居る、たゞに惠果の期待したのみならず、傳法阿闍梨の位に上つたとき、その齋莚に列した青龍寺や、大興善寺などの、五百の大徳は、皆これを期待したのである。
しかし、飜つて、日本を見れば、奈良の諸大寺には、倶舍や法相の碩學が居る、三論や華嚴の龍象が居る、最澄も居る、此の中には朝廷に立つて居る人々と、綢繆※[#「夕/寅」、第4水準2−5−29]縁して居るものもある由來、草莽の微衷が、天門の上に達することの難きは、昔も今も同じことで大師が歸朝後、直ちに、請來の經卷を上つて、密教のことを申し上げたが、平城天皇は、あまり、留意せられたらしくない、歸朝後第五年目に至つて、平城帝が退隱せられ、御代が代はつたから、弘仁元年十月二十七日の日附を以て、國家の爲に修法せんことを請はれた上書が、性靈集に見えてあるが、其の中には、大唐天子の例を援引して、宮中則捨長生殿、爲内道塲、復毎七日、令解念誦僧等持念修行、城中城外亦建鎭國念誦道塲、佛國風範亦復如是と云はれて、日本も又唐朝の例に倣ふべきことを主張して
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