ヲ[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ハナ》王朝の王で、市演得迦と云ふ名の王の時代に居られたことが、明白であるが、其の市演得迦と云ふは宋の求那跋摩の譯した龍樹菩薩爲禪陀迦王説法要偈とある中の、禪陀迦と同名であるが、如何なる音を寫したものであるか判然しない、今まで、種々、其の音譯を原語に還源しやうとした人があるが、一として、根據のある結果を得ない、從つて、其の王の名から、龍樹の年代を定むることは、不可能であるが、龍樹の弟子の龍智は、七百年生存し、大師在唐の時、醴泉寺で、般若三藏や牟尼室利三藏に此の事につきて問はれたとき、今猶生存せらるゝとの解答を得たことから、推すと、龍智の師であつた龍樹は、大師在唐の當時、即ち西暦紀元八百五年より以前、七百有餘年前、即ち、第二世紀以前の人と云はねばならぬ、龍樹の時代から、佛教には、密教的思想が、多く、加はつたに相違なからうが、密教の理論、并に形式に關する部分で今日梵文が存在して居るものを見ると其の用語が、非常に典雅で格調の正しく、到底紀元後二世紀以前のものとも見えぬから、其の以後次第に出來たもので、完成せられた時代は、隋唐の時代に先つこと、あまり遠くはな
前へ 次へ
全95ページ中80ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
榊 亮三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング