A今の爪哇である、今日にても、南洋に觀光釆風の客は、爪哇の「ボロ、ブヅール」や、其の傍近の「チヤンデイ、メンヅト」(Boro−budur−chandi−mendut)の寺院の遺墟を尋ねると必ずや、西暦紀元第八世紀から、第九世紀頃に亘りて、建設せられた此等の寺院には、密教の佛像多くあるを發見せらるゝことと思ふ、此等の寺院が、僻地だから、わざ/\往くは、いやなら、せめて、「※[#濁音付き片仮名ワ、1−7−82]タ※[#濁音付き片仮名ヰ、1−7−83]ア」の博物舘でも、一見せらるゝがよい、唐代に密教が流布した時代には、此の地方にも、密教が盛であつたことと思はるゝに相違ない、して見ると、唐代の密教は、畢竟、印度から起つて、東亞一帶の地に澎湃として漲り來た波浪の餘波に相違ない、印度にては、密教の起原は、悠古の時代にある、必ずしも、龍樹菩薩を待つて起つたものでない、必ずしも、龍智阿闍梨を待つて盛になつたでもない、もし密教にして、如來内證の眞理であり、機根の最も熟したるもののみに傳ふべき教ならば、古代印度の諸宗教は、大抵密教である、「ウパニシヤツド」文學は宗義通り解釋すれば、師資相對して、親しく授受
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