A今日の地理から云ふと、Tapti(タプテイ)河と Nerbudda(ネルブダ)河との流域の地方である、南方の地並に其の密教的宗教の中心であつたことは、これでも推察せらるゝ、又烏萇國は、大唐西域記第三に所謂|烏仗那《ウデイーヤナ》國で、昔僧徒一萬八千、今漸減少、並學大乘寂定、喜誦其文、未究深義、戒行清潔、特閑禁呪[#「閑禁呪」に白丸傍点]とあり、其の外、南印度では、龍樹菩薩や、龍智阿闍梨[#「龍智阿闍梨」は底本では「龍智阿闇梨」]の本塲であるから、其の密教の盛大なことは云ふまでもない、弘法大師の付法傳で見ると、龍智阿闍梨耶は、上天入地、無碍自由、或住南天竺、弘法利人、或遊師子國、勸接有縁、とあり、南天竺并に師子嶋即ち今の錫蘭嶋の人々は、當時齊しく、仰で、龍智阿闍梨耶を崇信したことが明白である、かゝる次第であるから、栴檀樹の香が、軟風に薫ずる摩頼耶國に、密教の第五祖、金剛智三藏が生れたのである、貞元釋教録には、金剛智三藏が、入唐以前に南天の國王捺羅僧伽補多靺摩の爲めに、雨を祈つたことが出てあるが、單に南天とばかりでは、漠としてゐるが、なるほど、香至《カーンチ》國の王に Nara−simh
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