フ方では那爛陀を中心として、烏荼《ウドラ》國にも及び、密教が流布して居るし、西部では、羅荼《ラータ》國が中心であり、西北境では、烏萇《ウデイヤーナ》國、迦畢試《カピシヤ》國にも流布して居つた、就中、羅荼《ラータ》國は今の「ラール」一帶の地方で、昔から、密教の中心であつたことは、大唐西域求法高僧傳の中、玄照の傳や、道琳の傳を見ても判然する、又隋の東都洛濱上林園翻經舘南賢豆沙門|達摩《ドハルマ》笈多《グプタ》も、續高僧傳によると、南賢豆、羅※[#「口+羅」、第3水準1−15−31]國人也とあるが、賢豆は、印度のことで、羅※[#「口+羅」、第3水準1−15−31]とは「ラーラ」と發音するのであるが是れは羅荼《ラータ》と同じことである 〔La_ta〕[#tは下ドット付き] の Ta[#Tは下ドット付き] は時ありて、印度で、「ラ」と發音することもあり、又支那では、羅又は※[#「口+羅」、第3水準1−15−31]の音で寫すことがある、二者同一で、希臘の地理學者の「トレミー」の書に所謂 Larike であるとは、私の意見である、西部の印度に屬し、稍や南に偏在するから、南賢豆國の中にしたものと見える
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