ツた集古今佛道論衡實録の乙卷や續高僧傳の第四卷に見えたゞけでは、不明であるが、太宗の意では、老子の教を、西域の諸國へ弘布せしめんとしたことが、明白である、如何に老子の教が、唐代の初期に重要なものと思はれたかゞこれでも、判然する、しかし、道教と密教とは呪咀禁厭等の事を語ることは、相似て居る、老子の作つたと云ふ道徳經ばかりでは、左程にも思へないが、唐代の道教に至つては、或は延年の法を談じたり、龍に乘り、雲に駕することなどを言ふことが多い、密教を護持するものは、僧侶で、道教を護持するものは、道士であるから、護持者には、相違があり、又教旨根本の原理は、雲泥の差があるが、世人の目から見れば、其の外形は、甚だ肖似して居る、故に唐代の初期に道教の隆盛を封したと云ふことは、軈て密教興隆の氣運を誘起することゝなり、密教と道教とは、其の間に種々の混一を見るに至つた、今日日本の密教の中には、或は泰山府君の信仰があつたり、司命神だの司禄神だのを祭るは、即ち、道教の神が密教の中に混入して來た一例で、泰山府君の眞言を見ると、Namah[#hは下ドット付き] 〔samanta−buddha_na_m〕[#最後のmは
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