フ大帝王、百王の王として、萬國の仰ぎ見た唐代の天子は、抑も、何を信じて居られたか、又天子の身邊を圍繞する大臣宰相の信仰した、宗教は何かと云ふ問題になると、それは、歴代の天子により、又卿相の意樂により、又宗教界から出た偉人の性格により、時の變易があつて、一概に論ずることが、困難であるが、先づ動きのないところは、當時道教が、唐の天子の歸依によりて、中々盛んなものであつたと云ふことである、元來、老子も、李姓なれば、唐の天子も、李姓である、それにつけて、天子は老子の子孫のあると附會したものだから、老子の崇拜が、盛になり、至る所、道觀が起り、道士が勢力を得た、かの老子化胡經などと云ふ書物が、最初は、晋代の王浮が作つたものであるが、唐代に至りて、一層舖張したのである、これは、老子が、西の方關を出でんとしたとき、尹子の乞に應じて、五千言を遺したと云ふ傳説に附會して、其の儘死なすのは、惜しいから、尹子と老子とが印度に入りて釋迦となり、舍利弗目※[#「特のへん+廴+聿」、第3水準1−87−71]連等を化度したり、波斯に入りて、末摩尼となつたり、して、摩尼教を建てたなど云ふ、ことを書いたもので、王浮の作つ
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