A自から居つたからで、自分は、天に代りて、道を行ひ四夷は皆己れの藩屏で、國平かなときは、化を慕うて來貢し、國が亂れたときは兵を率ゐて、己に忠を竭すべきものと信じて居つたからである、かく信ずることの是非善惡は暫らく擱きて、かく構へ込んだところは、大きいと云はねばならぬ、とにかく、「カフリスタン」の邊陲から來て、禁衞軍の大將となることなどは、唐の天下であるか、羅馬の盛時でなくば見られない現象である、現今、英國の國王の護衞兵の中に「シツク」の騎兵が居るなどは、やゝ似て居るが、とても及ばぬことゝ思ふ、般若三藏が、大乘理趣六波羅蜜多經を再び譯するに至つたは、全く、此の羅好心の天子に奏聞した結果で、其の奏聞に對する御枇などは中々鄭寧なもので、卿之表弟、早悟大乘、遠自西方來遊上國、宣六根之奧義、演雙樹之微言、念以精誠所宜欽重、是令翻譯俾用流行、卿夙慕忠勤、職司禁衞、省覽表疏、具見乃懷、所謝知とあるは、唐代の天子が如何に外人を待つに厚かつたかゞ判明する、弘法大師の入唐は、即ち此の天子の貞元二十年で、般若三藏が、羅好心の援助を得て、理趣經の翻譯を竣へた年から僅に十二年の後である。
かくの如く、東方亞細亞
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