るから、我々は新羅の大使の下に坐する譯はないと云ふにあつたが政治上の關係より見れば、尤の議論で、無學と貧乏とは昔から、日本のつきものだが、腕力の方なら、昔から、先づ日本が、他國に、大した遜色がなかつたから、日本の大使の申分も、支那人が容れて、到頭東畔第一に列することになつたのであるが、第一であつたとした所で新羅に勝つた丈で、支那とは對等の交際と云ふ譯にはいかない、一體國と國との關係は、個人と個人との關係と同じく、腕力の強いものが、必ずししも尊敬せらるゝ譯でなく、富力、智力、殊に道徳などは、國際の關係を定むるに、中々有力な資料であつて、大正の日本も、腕力にかけては、先づ一等國仲間入りが出來たやうであるが、智力と富力とにかけては、一等國の伴侶とはゆかぬ、道徳の方も、昔は、支那でも、日本を君子國と云つた位だから、昔は、よかつたが、今日の道徳では、あまり、君子國でもないやうだ、しかし、これは、餘計な事で、今日の日本はいづれでも、本論には關係がないが、唐代の支那が、傍近の諸國民を弟子扱にし、傍近の諸國民も、支那を仰で、上國とし、其の光を觀て、其の風を釆るもことを以て、よいことにして居つた、支那
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