フ方でも、此等の外國の人民を待つことが、中々親切であつたから、日本の樣な、支那から離れて、政治上獨立國の人民はともかく、日本以外の國で支那に近く、又支那に對し附庸、從屬の關係のあつた國々の人々は、支那に赴きて、支那の朝廷に仕へ、支那の官位を帶ぶることは、さまで恥とせぬのみか、却て榮としたことが、恰も羅馬の盛時、莱因《ライン》、多惱《ドナウ》の二大河附近の獨か民族が、羅馬に仕へて、其の勳位を受け、其の官職を帶びて自から榮としたと一樣である、だから、支那に何か變亂が起ると、决して、すて置かない、或は、天子の命に應じて、自から兵を提げて、戰ふたり、或は、戰軍の首領の催促に應じて、出掛くると云ふ風で、李世民が、隋の亂に乘じて、晋陽から起り天下を平定し、大唐三百年の基を開いたのは、抑も、突厥の兵の力を借りたくらいだから、唐の天子の下に仕へた連中で、撥亂反正の功のあつたものゝ中には、外國人が尠くない、殊に日本人から見て、可笑しく思ふのは、安禄山の亂のときである、安禄山、史思明、安慶緒などは、申すまでもなく、これに對して、戰うて眞に唐の天下を克復したは、吐蕃や、突厥の兵では、固より、これを統卒した李
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