アとゝ思ふ、又或る遣唐大使のとき、支那の方では不都合にも、日本を西畔第二に置いて、しかも、新羅を東畔第一にしたから、大使は立腹して、大論判を持ち込んで、到頭東畔第一の位についた、成る程日本は政治上獨立國で、新羅のやうに、唐に對して、屬國でない、だから、新羅などの下に置くなどは不都合千萬の話であるから、日本の遣唐大使が殿上で、怒鳴つたは、大に尤だ、しかし、支那の方では、日本も新羅も、文化の上から云へば、同じく、弟子分の國であつて、政治上の關係は、別としても、其の他のことは、大した差違はない、無論不都合は不都合だが、日本を新羅の下につけたは、所謂不行屆で、さまで惡意があつた次第ではなく、支那人の人から見れば、日本も新羅も、共に支那の弟子分であつて、こう云ふ書物がないか、こういふことをする人物はないか、こう云ふ武器はないか、こう云ふものを作るには、どうしたらよいか、何卒教へて貰ひたいなど云ふことになると、新羅の方は、日本よりも、早く、支那の文化を受けて居つたから或は、支那人の目から見ると、日本よりも兄弟子位に見たかも知れない、當時日本の方の主張によると、新羅は、昔から、我が國に朝貢したもので
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