からざるものがある、冊府元龜によると、玄宗皇帝の開元七年六月大食國、吐火羅國、南天竺國、南天竺國、遣使朝貢、其吐火羅國、支汗那母王帝※[#「貝+余」、第4水準2−89−12][#「支汗那母王帝※[#「貝+余」、第4水準2−89−12]」に白丸傍点]上表、獻解天文人慕闍、其人智慧幽深、問無不知、伏乞恩喚取慕闍、親問臣等事意及諸教法、知其人有如此之藝能、望請令其供奉并置一法堂とある、吐火羅は、大月氏の故地で、今の「トカレスタン」であり、支汗那は 〔Jagha_niya_n〕 で、王の名は、帝※[#「貝+余」、第4水準2−89−12]と云ふが、是れは、〔Te_−sa〕 と云ふ王の名を寫したもので、大慕闍と云ふは、其の語の本源は、未だ判然しないが、「ソグト」の語で Mwck と云うて、これから轉した、突厥の語では 〔Mec,ak〕, mozak であるから、其の意味は、單に法師とか、教師とか、云ふに過ぎぬ、當時、かゝる天文學者を、唐に獻じたは、甚だ宜を得たもので夫れより以前には、唐では從來の暦法の不完全なることを發見して、暦法に關する論爭は、中々喧しかつた、高宗皇帝の麟徳年間に、李淳風が上つた
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