じたであらうか、又時には、峩冠盛服の胡僧を見られたり、※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]祠より悠揚として空に騰る、香烟を見られたとき、如何に思はれたであらうか、千百歳の下、竊に大師の當時に於ける感想を忖度するに、身は東海の一遊子であるが今は、東方亞細亞の大都會に居るのである、自分の前に展開する事物は、是れ東方亞細亞の文明の精華であると考へられたに相違ないと思ふ。
唐代の支那が、印度又は印度系の文明に影響せられたことは、茲に喋々するまでもない、波斯又は波斯系の文明が、如何に唐代の文明に影響したかは、今猶ほ研究中であつて、成案には達せないが、研究の歩武を進むると、ますます、其の影響の淺からぬことが、明瞭になる、唐代の繪畫は、一派學者の云ふ通り、果して、波斯の影響を受けたか否やは、吾が局外者の賛否孰れとも、未だ决することが出來ぬが、工藝の上には、明かに波斯の意匠などは、認むることが出來る、奈良に保有せられて居る、蜀江の綴錦などは、其の意匠は波斯意匠たることは、一見明白である、又、波斯の星占學、天文學が唐代に於て、支那に入り、支那の暦法に影響したことは、史乘の載する所、决して、誣ふるべ
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