7−83]」語か、「ソグデイヤナ」語の 〔Do:−bu_n〕 の翻譯に外ならない、明暗生死の二元過去現在未來の三際は、末尼教徒が、受戒するときに、必ず會得すべき教理であるから、かく二宗經僞教と云ふたものと信ずる、又拂多誕とあるは、一寸見ると、波斯の人名であるやうに見ゆるが、是れも恐らく 〔Fur−sta−da_n〕 即ち、法教師と云ふ「パーラ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]」語の音譯であるとの事であるが、私もこれには賛成する。
要するに、大師入唐の時代には、長安には、波斯の宗教が一つ又は二つ、基督教の一派の「ネストリヤニズム」も入つたことは事實である、即ち※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教も、景教も、事によると、摩尼教も、長安にあつた次第である、摩尼教は、長安にあつたことが疑はしきとするも、支那には、當時流布して居つた事は、動かすことが出來ない、佛祖統記によると、開元二十年即ち金剛智三藏が示寂の年に、玄宗皇帝の詔勅が出て居る。
 末尼[#「末尼」に白丸傍点]本是邪見、妄託佛教、既是西胡師法、其徒自行、不須科罰、とある、又大師入唐に先つ僅に三年即ち八百〇一年に完成した杜祐
前へ 次へ
全95ページ中38ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
榊 亮三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング