た宗教で、西暦第七世紀の半に至るまでは、殆んど波斯の國教であつた、今でも、印度の西海岸に、孟買だとか、「ゾロダ」とか云ふ地方にある「パーシイ」は、拜火教徒と云ふが即ち、※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教の徒である、波斯自身にも、異教徒即ち「クエープル」の名の下に、此の信徒が殘つて居る。
此の「マスデイズム」を、基礎として、これに基督教と、佛教と、其の他の東洋思想とを合せ、融會し、合糅して西暦第三世紀の後半に波斯に於て、建設した新宗教は、即ち、末尼教である、西洋人の所謂「マニデイズム」(Manicheism)は、是れである、其の教祖は「マネース」又は、「マニ」と云つて、西暦二百四十年波斯に生れ、二百七十四年に死した、生存の歳月から云ふと、基督教と同じく、三十有餘歳に出でないが、教義の流布したことは、非常で、地中海の沿岸を席捲し、一時は、基督教の勢力を凌駕せん許りで、有名な「オーガスチン」なども、若い時代は、此の教徒であつたのでも判る、其の教旨は、前に申した通り、波斯在來の※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教を基礎としたものであるから、二元論で、善惡眞僞の二元は、假りに、
前へ 次へ
全95ページ中36ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
榊 亮三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング