は、即ち大安寺である、これは、前に已に述べたことゝ思ふ、西明寺が、延康坊にあつたとすると、それから、北へ光徳坊、延壽坊と往くと、布政坊と云ふ坊があつた、其處の西南隅に胡※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]祠[#「胡※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]祠」に白丸傍点]と云ふ廟がある、又布政坊に隣りて、西に醴泉坊と云ふがある、其處の西門の南には、※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]祠[#「※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]祠」に白丸傍点]と云ふがあつた、次で醴泉坊の北は、金城坊と云ふのであるが、其の金城坊の西には、義寧坊と云ふがある、其の中に、波斯胡寺[#「波斯胡寺」に白丸傍点]と云ふがあつて、大宗皇帝の貞觀十二年、西暦六百三十八年に、大宗が、大秦國胡僧阿羅本の爲に立てたと云ふことになつて居る、即ち大師の入唐以前、百六十有餘年の時から、茲に存在したのである、又義寧坊の北が普寧坊と云ふので、其の西北隅に※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]祠[#「※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]祠」に白丸傍点]と云ふがある、又大師が後に居られた青龍寺と云ふは、長安の都
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