の東部で、新昌坊と云ふ處にあつた寺と思はるゝが、新昌坊の直ぐ北は、靖恭坊と云ふのであつて、茲にも、※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]祠[#「※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]祠」に白丸傍点]と云ふがあつた、抑も、胡※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]祠と云ひ、波斯胡寺と云ひ、又※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]祠と云ふは、如何なる宗教の寺かと云ふと、※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]祠とは、※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教の祠廟と云ふのであつて、※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教は即ち、「マズデイズム」(Mazdeism)を云ふのである、波斯胡寺とは、少しく漠然として居るが、大秦國胡僧阿羅本の爲めに建立したと云ふより見れば、基督教の一派景教の寺である、景教は、西人の所謂、「ネストリアニズム」(Nestorianism)である、西暦第四世紀の後半に、支那で云ふ大秦即ち今の西里亞《シリア》に生れた「ネストリユース」の創めた基督教の一派で、其の教旨は、今日歐州に行はるゝ基督教に比すると、教祖基督の性質につきて、大に見解を異にして居る
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