何であるかと云ふにある、青年時代に、かゝる眞摯にして、高尚な煩悶は、疑問としても、實に、凡庸人の夢想し得ざることで、今の學生ならば、如何にして、學校を出たのち「パン」を得やうか、はた如何なる妻を迎へやうかと煩悶するのであらうが、大師は、左樣でない、しかし、其の煩悶は、餘程熱烈であつたと見えて、名山大川を跋渉し、毫も艱險を憚らない、或は高嶽の上に孤棲して、修行し、或は怒濤澎湃として、孤峭削れるが如き巖頭に坐して、靜かに、妙理を思索して居られたことがある、殊に私が讀んで、感心致す所は、大和高市郡久米道塲の東塔の下で、大日經を尋ね當てられたときの御告白である、普覽衆情有滯、無所彈問、と云はれた、又更作發心、以去延暦二十三年五月十二日、入唐、爲初學習と云はれて居る、成程大日經と云ふ御經は、今日でこそ、研究もされて居り、註釋もあるから、或は、容易に了解さるゝことゝ思ふが、當時では何人も、讀んで、了解することが出來なかつたに相違がない、一行禪師と善無畏三藏とがこれを譯した時は、西暦七百二十四年であるから、大師が、入唐の年代、即ち西暦八百〇四年迄には、約八十年の間がある、元正帝の養老年間に善無畏三藏
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