卑怯者――」と口惜しげに拳を突き出して飛び掛らうとしてゐるうちに、僕は忽ち扉を蹴倒して暗闇の戸外へ転がり出で、
 ――オ、俺は失恋してしまつた!
 ――オ、俺の悲しみは太陽をも黒く冷たくするであらう!
 ――オ、俺は自殺するかも知れないんだぞ! 助けて呉れえ! お願ひだ!
 と悲しげな声をふり絞つて絶叫しながら、森の入口の広茫とした草原を弾丸のやうに走つてゐたら、ズッと向ふの東の空が急にボンヤリ一部分だけ白くなつた。

[#7字下げ]4[#「4」は中見出し]

 それから丁度五日目のことであつた。
 その五日間といふものは悶々として寝床の中にもぐつたまま夜昼の分ちなく眼蓋だけを開けたり閉ぢたりしてゐたのだが、だしぬけに鼻をグリグリ捩ぢ上げる奴があるので、さてはてつきり霓博士が襲来したに違ひないとあきらめ乍ら目を開けたら思ひがけない一人の妙齢な麗人が――ピストルを突きつけて僕を鋭く睨んでゐた。慌てていきなり飛び起きて狼狽《うろた》へながら左や右を見廻したら、ばかにお天気の良い蒼空が光つてゐた。
「あたしの夫を返しなさい!」
「ニ、ニヂ博士ですか? ボ、僕が誘惑したわけでは決して……それは
前へ 次へ
全32ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング