も更に妖怪的な凄味のあるのは、安川が有耶無耶のうちにおたきの意志をうち消しててんで相手にならないのに、強ひてすすめもしなければ反対もせず同意もせず、あへて悲しみも見せなければ絶望もせぬあの白々しい無表情な顔付だつた。さりげないあの顔付の背後には牛乳屋との思ひもうけぬ契約が秘められてゐたと分つたいま、更に無限の思ひもうけぬ実力を予想せずにはゐられなかつた。それは古い物語の妖婆の業を思はせた。それと母との脈絡を空しく探しあぐねるとき、ただ単に母なる名前に打ちひしがれた五才の幼児であるかのやうな、無残に非力な絶望を思ひあてずにゐられなかつた。
 安川は母への復讐を考へた。これみよがしに牛乳屋との契約を破つてみせても、あの白々しい無表情の顔の前では、単に敗北を強めることにすぎないだらう。安川の怒りと憎しみは大きすぎたし、これを「おたき」と言ひきつては当らぬうらみがあるのだが、「母」に甘える幼児のやうな理智を越えた我儘もあつた。その夜彼は家宝のひとつの大雅の軸をもち出して五百円の金に代へた。これみよがしにさうすることが、むしろ復讐であるよりも、復讐の名前に隠れて悔いるつらさを免れようとするためだ
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