母が金をまもつてゐた。安川は自分の母をおたき婆あとよんでゐた。はじめ松江がおたき婆あとよんだのである。おたきは松江をきらつてゐたので、松江はおたきを憎んでゐた。安川は松江の立場が可哀さうだと思つたので、自分も忽ちおたき婆あとよぶのであつた。
 安川と松江がまがりなりにも一戸を構へてゐた時のこと、窮迫のさなかに折悪しく安川は盲腸炎にかかつた。心当りの金策に失敗した松江は、万策つきておたき婆あを訪れた。自分と不和であるにしても、実の子供の盲腸炎を見棄てるはずはないと思つた。おたき婆あは兄の子供にのこされた多少の貯財のほかに、それより多額の臍繰りをたくはへてゐた。
 おたきは老眼鏡をかけて新聞を読んでゐた。松江の話の最中も、話の終つた後も、同じやうに眼に新聞を寄せつけて口をへの字に結んでゐた。同じ頼みを松江は三度くりかへした。おたきはいくらか気色ばんで立上ると、奥の部屋から富山の売薬袋をもちだしてきて、入用の薬をこの袋から探しだして持つて帰れと早口に言つた。堪へうる限りの忍耐の結果が、一円の金ですらなく、売薬にすぎないことが分つたとき、逆上のあげく失神しさうな自分を感じ、一時も早く鬼の前から
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