逃げ去ることを希ひながらひたすら道を歩いてゐる自分の姿に松江はやうやく気付いたのだつた。
その後安川がおたきに会ふと、それごらん、誰の世話にならなくとも丈夫な身体になつたぢやないか、人の力をたよつては立派な男になれませんと、まづ第一におたきは教訓を垂れたのだつた。
安川はその後いよいよ食ひつめて、おたきのもとへころがりこんできたのであつた。子供が母にすがりつく素直な気持はみぢんもなかつた。仇敵に食を恵まれても恐らく温情は感じるだらう、刑務所へぶちこまれてまんまと食にありついたら一切くだらぬ傷心に心をみだされるうれひなく食事々々を空気の如く虚心自然にくひうるであらう。おたきの家に起居することは即ち刑務所に起居する際の刺戟なきこと白雲のごとき絶対平和な日常をぬすみうることと同じである。おたきの与へる食事ほど物質的な食ひ物を、刑務所の弁当を外にしては想像することができなかつた、誰の世話になるといふひけめもいらない。おたきが彼等を養ふために苦労と迷惑を重ねるにしても彼等はてんで平気であつたし、然しおたきは恐らく苦労も迷惑もしないであらう。まよひこんだ野良猫に魚の骨をくれてやる気持であらう。
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