情だけはわりあい純粋なものではなかったかと思われます。
 むろんその余徳としてセラダがジャンジャンおごってくれるような望外なこともありまして、彼はてれてニヤニヤするほど満悦の様子ではありましたが、それは友情の結果であって、出発ではなかったようです。
 だいたいセラダは気に入った女の子には大サービスしますが、縁もユカリもない野郎なぞには決してサービスしないタチでした。彼は野郎どもに対しては特に警戒心が深かったのです。二世にすらも親友がいないと云われているほどですから、血は同じでも国籍のちがう日本人にはネゴシエーションの席以外には友情をもつ必要を感じていなかったのです。その態度は露骨でした。彼は法本と遊びにきてもワリカンで、他人の分を払ったことはありません。
 そういうわけで、日野が彼に友情を示しはじめた当座のうちは、セラダは警戒厳重をきわめていました。ビフテキと女をまきあげられた野郎めがなんのために友情を示すのか、場合によってはピストルが必需品かも知れないと気をまわすぐらい用心して、彼は日野が近づくたびに露骨にキゲンを悪くしてみせました。
 けれどもヤケと孤独の底をついてしまったセラダは人間の本質的なものに素直にふれることのできる素質をもっていました。日野の無節操、ヘツライ、乞食根性、タカリ、ケチ、助平根性、それはみんなセラダのものでもあったわけです。そしてそのハキダメのような土壌の中から芽生えてきた日野の友情を彼は意外に早く見ぬくことができました。こうして急速に信頼の度は深まったのです。二人は毎晩軌道を無視してメートルをあげ、わけの判別ができなくなってもゲラゲラ笑って乾盃をつづけていました。
 他人が見ると百鬼夜行の中から一番ダラシのないのが二匹ハミだしてメートルをあげているようなもので、そこに純粋の友情が育まれて二人の胸がシッカと結ばれていることなぞは、当人以外に分りッこなかったのです。
 時が長びくとセラダが勝手にギャングか自殺の一ツを選んでとびこむのが明白ですから、ついに法本はひそかにセラダを事務所に招じて、ギャングの実行にかかったのです。勿論席にはセラダのほかには法本の腹心ばかりで、日野は加えられておりません。日野はヤケクソの孤独人ですから、自分の腹心として日野の参加を望むようなことはもとより致さなかったのです。
 法本が日野の人柄を見ぬいていたことは申すまでもありません。無節操、ヘツライ、乞食根性、タカリ、ケチ、助平根性、ハキダメのような悪臭フンプンたる人柄です。絶対に信頼すべからざる人柄です。友情は常に裏切りでしかありません。まさにそれは確かなのです。しかし彼がただ一ツ誤算したことは、彼とセラダの友情が意外に純粋なものであるという一事でした。ここに法本という人間の限界もあったわけです。この誤算が手ちがいを生むに至ることなぞ知る由もなかったのです。
 着々準備はととのいました。下検分も慎重に綿密に終りました。いよいよ決行の前晩に至って、セラダは明日にせまった冒険を日野に全部うちあけてきかせたのです。
 日野は面白がってきいていました。ほとんどおどろかなかったのです。セラダがいずれはギャングか自殺のいずれかを選ぶ必要にせまられていることは先刻承知の助だからです。もっとも、その後に於て法本が彼を殺して自殺と見せかける計画を知れば彼はキモをつぶしたに相違ありません。しかし、そこまで判るはずはないのです。
「ワタシタチのたのしい生活、長くつづくね。チェリオ」
 セラダは至って好キゲンでした。日野はそれに劣らず大満悦で、胸がワクワクするようなたのしさでした。西洋料理店で珍味の到来をまつ子供のあのたのしい心境でした。
「成功をまつ」
「OK。チェリオ」
 それより例の如くにメートルをあげて両名は飲めや笑えやです。毎晩が最高潮に達しているのですから、いつもにまして、というわけには参りませんが、賑やかなことでした。こうして翌日、セラダはさすがに緊張と、しかし勇気リンリン武者ぶるいをして戦線についたわけです。
 その日の午後二時前後に池袋の某金融金庫をでて練馬方面へ向う自動車があったのです。この車に二千万円の現金入りの袋がつみこまれています。これはさる事業に用いる金で、この事業には法本が関係していました。この日の金の現送は法本ほか十名ほどの人が知るだけです。法本も練馬の方でこの金の到着を待っている一人でした。
 ところがいつまで待ってもこの金は来ませんでした。来ないわけです。人家からはなれた路上で自動車は路から落ちて止っていました。運転手と係りの者二名は、車中でピストルに射たれて死んでいましたし、路上にも運の悪い通行人が一人射たれて死んでいたのです。現金袋は申すまでもなく盗まれていました。
 これがセラダ一人のちょッとした事業だったわけです。セラダはあまり自動車をとばさぬように、わが胸を押えに押えて、顔色も変えずに池袋へ戻り、そこで人心地をとりもどして自分のアパートへ到着しました。二千万円の現金はデンとセラダの部屋に位置をしめ、セラダは満足してイスに腰かけ、サントリーのポケットビンに口をつけてウイスキーを呷りました。
 その晩、セラダと日野が上乗の首尾を祝して例の飲めや歌えをやったことは申すまでもありません。けれどもセラダは祝宴の途中から親友をおいてき堀にして、小夜子サンを片隅にとらえて、たのむ、拝む、はては土下座してまでの懇願哀訴でした。それは多彩でもあれば執念深くもあり、またどことなく物の哀れもあるようなチャルメラ的なものであったのですが、当人の身にしてみればダテにチャルメラを吹いてるわけではなかったのです。必死なのでした。
 セラダは大金を背にどッかとアグラをかいてみると、自殺だの心中なぞは当分延期の気分で、いまやシンから人生をたのしみたくなったというものです。
「心中、もう、イケマセン。ワタクシ、アナタのドレイなります。アタミへ一しょに行きましょう。たのみます」
 ざッとこういうわけです。
 これが十日あまりもつづいたのです。小夜子サンもヤケを起してしまったのでした。
 だいたいにおいて小夜子サンはセラダがやや好きの方だったのでしょう。彼のオッチョコチョイぶりもこうひどすぎると俗人ばなれがしてアカぬけたような気分になるから妙なものでした。とかく日本的オッチョコチョイは哲学的詩的要素が加味されていて頭痛を起させがちなのですが、セラダのにはジャズ以上の重量級のオッチョコチョイは加味されていないのです。気分的に楽でした。当人は万人に軽蔑されても意に介しない荒海の救命イカダのような安らかな心境にいることですし、ツキアイが楽だというのは坐り心地や生きる心持の急所が楽だというようなものです。
 彼のヤケが底をついているのも、時々にシミジミさせられることがあって、わるくはなかったのです。死の崖にいる切なさや逞しさも時に青い山を見るような酔い心地を与えてくれることがありました。それは一瞬にすぎ去る感傷にすぎませんが、この人生はその程度でまアまアではありませんか。
 しかしとにかく相手は汽船でもボートでもなく救命イカダの類いですから、平時に於てこれに乗りこむには多少のヤケも必要だったわけです。
 別に深いワケはなかったのですが、まだ寝みだれ姿で便所へ立って、そこでバッタリと、すでにすっかり仕事着をきたトオサンと顔を合せた小夜子サンは自分の朝寝坊や寝みだれ姿が味気ない気持になって「オハヨー」と顔をそむけて背をむけました。茶のみ友達の窮屈なところでしょうか。茶の湯や活花の類が常にのしかかるような感じがし、それをトオサンが決して強制しないのに、どうも茶のみ話の玄妙に心がいじけていけなくなっていたのです。便所の中でちょッと頭痛がするような苦痛を覚えたのです。
 小夜子サンがまさに便所から出て来たとたんでした。ブーブーブーと景気よく自動車が鳴りたてました。むろんセラダにきまってます。小夜子サンは解放感でフラフラしました。たったそれだけのことです。そこへセラダが本日こそはと意気高らかに乗りこんできて、寝みだれ姿も物かは、いきなり哀願泣訴の意気ごみを見せたものですから、小夜子サンはアラーッ、キャーッと部屋へ逃げこんで障子をバッタリしめて、
「待ってね。いまお化粧して行きますから」
 今までにないキゲンのよい声です。障子のあちら側でセラダがしきりに手をもみ肩をゆすって酩酊状態になっているのは、この店の者なら察しがつこうというものです。
 こういうわけでセラダと小夜子サンは再びアタミの散歩者となったのですが、ここへ来てみれば別天地でした。いつのまに、茶のみ話の妖しい魔術にとらえられてしまったのか、この軽さ、親しさ、解放感、心ゆくまで胸いっぱいの爽やかな孤独感、それらの楽しさを今まで思いだせなかったのがフシギでした。セラダの妙に鼻につかないオッチョコチョイ、居ても居なくても邪魔にならないような、吹けばとぶような軽量感。楽でした。
 話はとんで法本です。彼はまだセラダのもとへ分け前をとりに行くこともできないのでした。なぜなら当局の容疑は彼一人とは限りませんが、ともかくその日の二千万円現送の事実を知るものが容疑からまぬがれないのは当然で、法本やその腹心にはそれぞれ明瞭なアリバイがあってもまだ安心はできないのです。何より安全なのは誰の手もとにも盗んだ現金をもたないことで、やむを得ず涙をのんでセラダの豪遊を見て見ぬフリの切なさでした。むろんセラダの豪遊先、阿久津や熱海へ顔をだすこともできません。このような豪遊人士とツキアイがあるなぞと判明しては一大事で、幸いセラダは二世だから、離れている限りそのツナガリを看破される心配はない様子でした。
 しかし法本も金につまっていたのです。一年の大晦日もせまってきましたし、多少の危険はあるにしても、ノンビリしてはいられません。しらべてみると、セラダは週末ごとに小夜子サンと熱海へ行っているのです。
 法本一行は土曜日に熱海へ行って泊りました。そこからはセラダの動静を見ることができます。
 セラダにとっては運がわるかったのです。その日曜に熱海の旅館で小夜子サンが病気になったのです。いつもなら宿でも道でも二人そろっていないことはなかったのですが、小夜子サンが病気とあっては仕方がありません。セラダが自動車で病人用の買い物にでかけたのです。
 悪いことには夕方でした。
 買い物の途中、セラダを呼びとめたのは法本です。腹心も一人いました。彼らは久闊を叙し、一しょにセラダの車にのりました。セラダの宿へ行くためにです。セラダは彼らを疑っていませんでした。彼らが半分半分の分け前をとりにくるのは当然で、どうしてとりにこないのかとフシギがっていたほどですから。
 しかしセラダの車は宿へ行かずに来の宮から十国峠の方へ登って行きました。その車からやや離れてもう一台の自動車が走っているのは、それが法本一味の自動車です。セラダは自分の車の中で法本とも一人の人物にピストルで脅迫されて渋々云うままに運転せざるを得なかったのです。
 セラダはそのポケットのピストルとアパートのカギをとられました。次にちょうどよろしいあたりで頭をうたれて死に、法本は自分のピストルにセラダの指紋をつけて車中に投げすて、ハンドルをきって車は屍体をのせたまゝ谷底へすべり落ちてしまったのです。
 そして彼らは自分の車にのりこんで、いったん熱海へ戻ってから東京へ戻りました。その夜のうちに、セラダのアパートの現金はどこかへ運び去られてしまったのでした。セラダの車は翌日発見されて、セラダの経歴が分ってのちに一応自殺として事件は打ち切りとなったのです。
 セラダの死後、小夜子サンは出頭を命ぜられてMPの取調べをうけました。
 それはセラダの自殺についてではなく、セラダの過去のある重大らしき犯罪についてでした。その犯罪についてセラダが何か彼女にもらしたことがないかと取調べをうけたわけです。彼女は明瞭にナイと答えました。すると取調べは簡単で、すぐカンベンしてくれたのです。彼女はさきに熱海署でセ
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