「だってセラダサンは一枚売って下さいッて云ったじゃないか」
「私が二枚と云い直す。イーだ」
 セラダと八千代サンは早くもテーブルにつきさっそくビフテキをパクつき、改めてチェリオと乾盃をやっております。日野はイスにもたれてそりかえり、両腕をくみ、両眼をとじ、実に憮然という構えで長い瞑想にはいりました。そのままの姿勢でたっぷり五十分はつづいたでしょう。それこそは元貴族のナレの果ての構え充分の貫禄がそなわっているかに見えたのです。そして彼が目をあいた時には彼氏と彼女はすでに相擁して立ち去った後でした。八千代サンは全然千鳥足だった由です。
 その翌日もまた翌日もセラダと八千代さんは一しょに現れ、相擁して千鳥足で立ち去りました。次の晩から二人そろって姿を見せなくなったのは遠出の証拠と見られたのです。
 日野は毎晩現れて、八千代サンの日ごとの変化と酔態をつぶさに見学していました。彼は彼女にお酒をおごったことがなかったので、その酔態を見たことはなかったのです。よしんば彼がお金持で彼女にお酒をおごろうとしても、トオサンが店にいる限りはそれを許さなかったでしょう。
 女が処女を失うということと、泥酔するということは、ケダモノよりもあさましいものに見うけられました。しかし日野はそれに目をおおうようなことはしませんでした。むしろいつもの倍も目玉をむいて、ジロジロと観察にふけっていたのです。八千代サンが目の前でハダカにされてセラダに犯されたにしても日野の目玉はマバタキしなかったに相違ありません。
 女というものはどうしてこう愚劣なんだろうかと日野はガイタンいたしました。男がこういう愚劣なものに凝らねばならぬ宿命を与えられているということは歎かわしい次第だ。この女の獣的異変と退化性と肉慾性とは平和な時代の道徳と相いれないものがある。侵略の兵隊の女狩りが彼女らの本性にふさわしいもので、兵隊にジュウリンされ隷属する性質のものだ。紳士に隷属すべからざるものなのである。
 してみると男の本性も紳士にあるのでなくて兵隊にあるのかも知れず、世界秩序の本態も平和にあるのでなくて戦争にあるのかも知れん、と日野は考えてしまったほどです。彼がこう考えたのも、フシギに自ら反省する頭を失わなかったからで、なぜなら彼は八千代サンの愚劣きわまる獣的異変と色情狂的酔態を見まもっている間中、彼自身の性器が完全にボッキしたまま挫折することがなかったのを見出したからです。つまり彼自身の兵隊性を自覚せざるを得なかったのでした。
 ところが翌日の新聞に思いがけない記事がでていました。セラダと八千代サンは遠出ではなかったのです。セラダが酔っぱらッて運転していたために自動車を電柱にぶつけ、そこにでていた屋台をひッくり返して、自動車もひッくり返ったらしいのです。幸い死人はありませんでしたが、セラダは軽傷、八千代サンはやや重傷、ガラスでケガをしたらしいと想像されました。
 日野は新聞をよむと、とるものもとりあえずのていで八千代サンが手当てをうけたという病院へ行ってみました。もうわが家へ戻ったあとでした。ケガは幸い顔でなく、ノーシントーとカスリ傷で大したことはなかったのです。けれども日野が彼女の家を見舞うことを怠らなかったのは、トオサンが小坂信二を咎めた剣幕をかねて奴めも聞き及んでいることですし、これもタダメシへの義理立てと見たのはヒガメでしょうか。
 ところが日野は八千代サンの家人に甚しく冷遇せられたとのことでした。容疑者が警察でうけるような取り調べを入口でうけて、ともかく八千代サンの病室に通されることはできたそうです。
 八千代サンは彼を見ると、枕をはねのけんばかりに、いきなり熱心に彼にたのみました。その目は火焔をふきました。
「ヒロポンとどけてよ。オマワリサンがハンドバッグ調べてヒロポン見つけて大目玉よ。ウチのヒロポンもお母さんにとられちゃッたの。だから、今度くるとき、ヒロポンと注射器もってきてちょうだいよ」
 もうそろそろヒロポンがきれかけて、ややモーローとしているのです。日野の手首をつかんで思いきり強い力でグイグイひきよせ、自分もカラダをのりだしてきて、日野の頸に手をまきつけてねじりました。そしてくさい口で接吻したのです。グチャ/\とツバがベットリ日野の口ではなく鼻の下をぬらしました。日野は怖れて身をひきました。まだ足らなくて、さらにジリジリ身をひきましたが、それでも足りなくて立ち上ってしまいました。彼は鼻の下のベトベトしたツバをふいて、これも鼻の下の長いせいかと変なことまで思いついたりして、無性になさけなくなって、
「ぼく、もう、帰るよ」
「私、病気が治ると留置場へ入れられるわよ。ヒロポン見つかったんですもの。早く手をまわして、助かるように運動してよ」
「そんな手ヅルないよ」
「セラダに会いたいわ。会わせてよ」
 日野はもうたまらなくなって部屋をとびだしてしまったのです。
 しかし彼はその足でウチへくると、これをことこまかに報告して、落着きはらっていました。
「あすあたりからひどい禁断症状だろうな。精神病院ものかも知れないと思うよ」
 薄笑いさえ浮べて、一向に動じた様子もなく云いきるところはややアッパレでした。奴も八千代サンの獣的異変と女性の退化性の確認によっていくらか大人になったのかも知れません。
 そうこうしているところへ、トオサンと小夜子サンが疲れきって戻ってきました。ぼくたちはセラダ負傷の記事により隠遁の必要がなくなって出てきたものかと早ガテンした始末でしたが、そういう偶然があったために、トオサンもやや顔が立ったかも知れません。
 ぼくはトオサンがセラダのことも八千代サンのことも知らないのに驚いて、二人が誰にも会わないうちに別室へつれこんで、留守中の異変を逐一説明に及んだのです。トオサンのおどろきたるや甚大でした。何よりも「おのが罪」の自覚にうちしおれてしまったようです。ぼくはこう慰めてやりました。
「誰の罪でもありませんよ。人間はこんなものかも知れませんな。変に甘やかすより、こうしてキマリがついたあとで、いくらかでも利口にと世話をやく方がハリアイがありますよ」
「そうだな。たしかに、人間はそんなものだ」とトオサンは変に決然と云いました。「こうしてみんなが茶のみ友達になるんだ。こうしてみんなが。そうだとも。どうしても、がんばらなくちゃアいけねえ。人間はもともとこうしたものなんだ。だがな。これだけのものだと思うと、まちがいだぞ。一寸の虫にも五分の魂と云うじゃないか。五分の魂は虫にもあるんだ。そうだとも。がんばらなくちゃアいけないのだぞ、人間はな」
 ちょッと勇み肌めいたところがタヨリなくはありましたが、それはまたちょッと神々しいものでもあったのです。悲憤のマナジリを決せんばかりの形相でした。思えば中部山脈をつきぬけて日本海へでて以来、ずッと格闘つづきのあとにまたこれですから、悪鬼とでも組打ちを辞しないほどの闘魂もあふれたろうというものです。
 トオサンは改めて小夜子サンの方をふりむき、肩に手をかけたわけではないのですが充分にその心持のあふれた姿で、
「勇気が大事だよ。なア。なんでもかんでも、がんばって、がんばりぬかなくちゃアいけないや。一度や二度のシクジリでくじけるようじゃア、人間の値打はありやしねえや。しかし、八千代サンには、すまねえ」
 八千代サンのいる方角がどッちだか分らないものですから、誰もいない方へちょッと身をねじるようにして何をしたのだか誰にも分らないような素早い動作で合掌をやりましたが、てれかくしか急いで手拭をひッこぬいてハナをかんだりして忙しいことでした。長旅の疲れのせいもあって興奮もいちじるしい様子だったのです。小夜子サンは病後で疲れきっていましたが、これはまた天下の些事には一向に無関心らしくサバサバとカゲリはまったくありませんでした。セラダがいつかの心中の相手だったことなぞは思いだすこともできない様子に見うけられました。料亭阿久津は当分平和が訪れるかに思われたのでした。

          ★

 セラダの自動車事故にいよいよ決行の時節到来とみたのは法本でした。二世たちのなかには自動車事故も無理心中の仕損いではなかったかと疑るムキもあったほどで、事実そうかも知れないのです。奴もいよいよせっぱつまったわけですから、早いうちにやらないと、奴は本当に自殺してしまう怖れもあったわけです。
 そのころから法本はぼくを警戒するようになっていました。それというのが、ニセ貴族を仕立てての誘拐の件がぼくの見破るところとなったことを日野の報告で知ったからです。小夜子サンが無事戻ったと知ったとき、さっそく花束をもってやってきて、これを小夜子サンに捧げて、
「おめでとう。もうセラダも当分あなたをつけまわせないでしょうから」
 なぞとお愛想を云ったのは、むろん小夜子サンをものにしようとのコンタンもあってでしょうが、小夜子サンの身を案じたのがウソではないとの言い訳も半分はあってだろうと推察され、悪党らしくない不手際にぼくはむしろ苦笑を覚えたのでした。しかしぼくが彼にしきりに対抗感を覚えるようになったのは、彼の悪党ぶりに反撥してのせいではなくて、実はやっぱり小夜子サンを彼に渡したくないとの思いつめた気持からです。セラダの時はこれほどの気持は起らなかったのです。してみると、あるいはやはり悪党ぶりへの反感であったかも知れません。奴の悪党ぶりが気に入らないのは奴の存在を知った時からです。日野のほめ方が気に入らなかったのかも知れません。とにかくぼくは日野の言動にはことごとくと云ってよいほど反感をもちたくなってしまうのです。ニセ貴族を仕立てての誘拐の件で法本の小夜子サンへの下心を知り反感の火の手が何層倍も強まったところへ、花束をもっての小夜子サン帰京見舞の一件があってぼくの反感は決定的になりました。つまり彼がぼくを警戒しだしたのと同じころからぼくの方がその何倍も彼を敵に見立てていたのですが、日野にはその色を見せないように注意するのを忘れませんでした。もっともぼくも法本がセラダにギャングを働かせそのセラダを殺害して自殺に見せかける計画をたくらんでいることなどは知る由もなかったのです。
 二週間ほどすぎて、セラダは再び毎日のように通うようになりました。おどろいたことには、金も乏しいくせに、二三日目にはまた自動車をブーブー鳴らしてやって来ました。セラダは貴金属類を百八十万円で法本に売った金の三分の二で自動車を買ったもののようです。奴の度胸のよいのにはおどろくほかありませんが、彼が自動車を持たない時の劣等感は特殊なものがあったのかも知れません。彼はこうしてギャングか自殺かいずれかを選ばねばならない窮地へ進んで自分を追いこんだようなものですが、彼はむしろ追いつめられる快感を最後の友としていたのかも知れません。遊びッぷりはむしろ陽気に陽気にと上昇線をたどる一方でした。
 ここに奇妙なのは、日野が急速にセラダと親密の度を加えたことです。セラダの八方ヤブレのデタラメさが、日野には敬服すべきものに映じたようです。彼はもともとセラダを一目見た最初の時から、そのオッチョコチョイぶりに圧倒されるところがあったようです。親近感は意外に根が深かったのです。
 そして彼のセラダへの直感がいかに正確であったかと云えば、一目見ただけで小夜子サンをモノにするのを予言したのでも判じうると思われます。奴のように無節操な人間にとっては、セラダが八千代サンを奪ってその処女をも奪ったというようなことは問題ではなかったのです。むしろ彼はそれによって一そう親近感と心服を深める結果になっているのではないかと想像しうる理由もあるのです。なぜなら、処女を失った女の日ごとの異変とその酔態に彼ほど熱心でマジメで深刻な見学者はいなかったのですし、それを摂取して成長すらもとげており、かかる異変を現実に示してくれたセラダに対して、彼は敵意どころか、むしろ師と仰ぐていの渇仰や共鳴を深めたとしてもフシギとは思われないからです。
 いわばセラダに対する友
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