刀の先にくらべると、モチ竿の先には、甚しく変化がこもっているかに見えることである。変化が多いということは、それだけこもった力の量が大きくて深いということでもある。竿の先がピリピリプルンプルンとふるえている。その力をたどって行くとホラブンの手もとへ行くが、その手もとは容易ならぬ変化の量を感じさせるに充分だ。しかしホラブンの目の方により大きな力の源泉がこもっているということが、竿の先の振動から身に沁みて分ってくる。しかし、目を見るヒマがない。ただ、目にこもる力の源泉を感じさせられているだけである。
ところが力は分派して、もっと別の宙天から、別行動を起して、彼にかかってくるものがある。それはホラブンの絶え間なしにつぶやいている咒文である。
「チョーセイ、チョーセイ、チョーセイ、チョーセイ」
剣の気合というものは、内にこもった緊張のハケ口のようなもので、剣自体にこもった緊張にくらべると、時には、なくもがなである。有ってよい時も、剣と一如である。
ホラブンのチョーセイは、そんなに緊張したものではない。まったくイワシ網をたぐっている漁師のカケ声と同じようなノンキなものでしかない。しかし、やが
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