壊混乱の時代に於ても、かゝる表出は礼儀化されぬ性質のものであるかも知れない。貝原益軒先生は只今房事中と来客を断られた由であるが、私はかういふ聖人賢者は好きではない。こんなところは何も正直に言ふことはないさ。只今所用があるからぐらゐで充分で、かういふ惨めな正直づらは、私はイヤだ。
 文学はかういふ芸のない正直とは違ふ。かういふ時には嘘をつく人生を建前とするのが文学のもとめる真実です。
 だが、諸君は各々の私事に於て、正しいこと、自ら省みて正しいと信ずることを行つてゐられるか。諸君は信じてをるかも知れぬ。然し、それが、自ら省みること不足のせゐであり、自ら知ること足らざるせゐであることを、さうではないと断言し得るや。カトリックに於ては、善人は天国へ、悪人は地獄へ、生れたばかりの赤ん坊は煉獄(ピュルガトワル)へ行きます。日本では普通、煉獄を地獄よりももつと悪い所のやうに考へてゐるが大間違ひで、ピュルガトワルとは天国と地獄の中間、即ち善ならず悪ならず、無の世界で、赤ん坊は善悪に関せざる無だから赴く。私自身の宗教に於ては、赤ん坊だけではない、自ら省みて恥なしなどゝいふ健康者はみんな煉獄へ送つてしま
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