ルの屋根裏で寝言のつもりで言ひだして、今はもう忘れてしまつたんだ。執念深く覚えてゐるのはサルトルぐらゐのものだぜ、と云つて、あとはクダをまいてしまふ、といふテイタラクである。
作家は弁明を書くべき性質のものではない。書くが如くに行ひ、行ふごとく書き、わが生存、わが生き方がそこに捧げられてゐるのであるから、他の何物を怖れるよりも、自我自らを偽ることを怖れるものであり、すべてが厳たる自我の責任のもとに書き表されてゐること、元より言ふまでもない。社会的責任の如き屁の河童ではないですか。論ずるだけがヤボであり、さういふ文学以前の問題にかゝづらつて一席弁じるサルトル先生も情ない先生だが、作家に向ひ弁明などと注文せられる向きの編輯者諸先生は先づ以て三思三省せらるべし。
諸君は各々の家に於て日常何をしてをられるか? 思ふに諸君(以下、君の中には女の方も入れてありますから)は、父であり、母であり、子であり、良人《おつと》であり、細君であり、恋人であり、諸君も亦、男女の道を行はれること当然ではないか。かゝる私事は之を人前にさらけだすべきものではなく、礼儀に於て、常識に於て、さうである如く、如何なる破
前へ
次へ
全13ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング