上を書いたのが運の尽きで、改造だの青磁社だのまだ出来上らないサルトルの飜訳のゲラ刷だの原稿だの飛び上るやうな部厚な奴を届けて汝あくまで読めといふ。これ実に、人泣かせの退屈きはまる本ですよ。街頭で酒店で会ふ人ごとにサルトルはいかゞとくる。まるで私が今サルトルと別れてフランスから帰つたやうな有様だから、私もつい癪にさはつて、うん、シロでサルトルとシャンパンにカレヒのヒレを落してオカンをした奴をのんだよ、うまくなかつたね、然し実存主義よりはいくらか清潔な飲み物でした、などと言ふ。すると中には、へえ、シロつてのは何ですか。君シロを知らないですか。プルウスト先生行きつけのパリきつての上品なレストランです。こゝでシャンパンを飲んだのは日本人で拙者ぐらゐのものですよ、とおどかす。すると、へえ、あなたが、と云つて、私の行きつけの怪しき飲み屋の怪しき構へを改めてジロ/\見まはしたり、又は私の怪しき洋服に目をつけたりする。巴里へいついらつしやつたんですか、ときくから、君冗談ぢやないぜ、僕は日本にいくらもゐやしないよ、戦争になつて、やむなく交換船で追ひ返されてきたのだ、実存主義なんて八九年前に僕がモンマルト
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