河田には人間の底に光があつた。そして逞しい気骨があつた。だからあの男はどん底の中にゐても、決して身辺に湿気といふものを持たなかつた。思ひ出すと懐しい。私の中では永遠に暗くならない。
 私は河田の芸術が好きであつた。あの男は沢山の失敗作を書いた。大部分は失敗の作であると思つてゐる。併し、あの失敗の底に光る高い精神と、輝やく眼光は大成の日の豪華さを思はせたのであるが、今は仕方がない。東京を去る前、大作を志して毎日書き破つてゐたのだが、恐らく大部は書き破られ書き破られて残るものは少いだらうと考へてゐる。由来私は、人の死といふものに冷淡であるが、河田の場合には、殊に今更どう言つてもはじまらないといふ気持が強い。私は何も言ひたくない。私は単に空虚な――恐らくは最も空虚な――「他人の死」に就て、うかつな感慨を洩らす自分が厭なのである。貧困に見えて好まないのである。
 彼は――恐らく誰しもさうであらうが――死ぬことがきらひであつた。死を思ふことも好まない風であつた。併しあの男の風貌の中では、あの男が死別といふ事柄に変つた今日、私の記憶の中で生きる人間の楽しさとなつて残つてゐる。あんなに貧乏であつたく
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