慌ててお駈けになって、夜道で下駄をなくなされたようね」
 泥の足跡があんまりひどいらしいので、ラクも行ってみると、なるほど泥の足跡が入りみだれている。吐いた汚物は洋書の上にかかっており、由也は吐くためにかがんだとき所持した本を落してその上に吐いたのかも知れない。
「ナマのようなネギだのシラタキだのお肉のようなものだの、スキヤキをそっくり吐いてらッしゃるよ。この本はどうしたものかねえ」
 汚物には灰をかけて、すくッて持ち去ってオソノが便所へすてた。洋書は汚物を洗って干したが、一夜汚物の下になっていたから、紙を傷めないように洗うのは大変だった。玄関の戸締りもしてなかったし、クグリ戸のカンヌキもおりていないのは泥酔のせいであろう。
 さて足跡であるが、誰かが一応ふいたようなところもある。しかしクラヤミのせいか、よく拭きとられていないのだ。
「お手を鳴らしにわざわざ歩いていらしたのよ」
 台所の近いあたりまで来たらしい足跡がある。しかし、玄関のところにベタベタと諸方に泥のあとがあるのは、そこでよほど難渋したのであろう。玄関のヘドでも難渋の理由が分るようだ。
「三枝ちゃんがクラヤミで拭《ふい》た
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