あった。それは宿々の出発や到着時のカゴの出入に見かけただけであるが、覆面のみでなく長い黒マントのようなものをひきずるように身にたらして、人々に抱かれるようにしてヨタヨタと出入するのであった。なんという気の毒なお方だろう。座敷牢へ閉じこめられて黒幕にさえぎられて生活すれば、ヨタヨタするのも当然であろう。生きながら屍のような兄上。母なき人はこのように不幸であろうか。一枝の呪文が耳について離れないのだ。父母の陰謀がある筈はないと否定しながら、安心できない理由はなぜだろう。光子のうちに、光子の疑念が正しいものであったということが、どうやらハッキリしかけたのである。

          ★

 同じ邸内に住んでいても、光子はめったに英信を見かけることはなかった。まれに本邸の会席によばれることがあると、英信はうつむいているばかりで、食事をしているのと、いないのとの相違は、手と口が動いているいないの相違にすぎなかった。
 英信はすでに優秀な成績で学林の業を終り、特に師について更に深い学問を習っていたが、彼は本場の京都へ行ってもっと深く究めたいと志望している由であった。彼は長男ではなかったから寺をつ
前へ 次へ
全56ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング